td>                   町中を探すと古いものもまだまだ見つける事ができる町だった。     
綾瀬3丁目のランドマーク
■綾瀬駅
3丁目1番にあるJR常磐線と東京メトロ千代田線の停車場。常磐線は昭和18年4月1日に追加開業した駅。昭和46年4月20日には常磐線の複々線化とともに営団地下鉄千代田線が乗り入れ、以後は営団(東京メトロ)が管理する駅となった。その後、北綾瀬までの支線は昭和54年に旅客営業を開始している。
 ホームは基本的に高架島式2面3線構造だが、3・4番線ホームの東寄りには北綾瀬支線が使用する欠き取りホームの0番線がある。北綾瀬支線はワンマン運転を行うため、ホームドアが設けられている。常磐線から千代田線へ直通する列車列車は1番線、千代田線から常磐線へ直通する列車は4番線を使用し、中線の2・3番線を綾瀬折り返しの千代田線列車が使用している。2・3番線ホームに着いた列車は両側のドアを開けるので、引き続き常磐線方面へ向かう客は進行方向左の3番線側、北綾瀬へ向かう客は進行方向右の4番線側から降りれば、平行移動のみで乗り換えることができる。だが3番線側のドアは到着後しばらくすると閉められるてしまうので、松戸・我孫子方面へ行く場合は間違えずに進行方向左側に降りることを忘れぬように。
 改札口は西出口と東出口の2ヶ所で、いずれも1階にある。
 この駅は都区内にある駅では唯一、JRが他社に営業を委託している駅なのだ。そのため「みどりの窓口」もなく、スイカも当初は使えなかったが今はもちろん使える。ホームの各表示板などもみんな東京メトロ仕様となっている。JRの職員は、ここで交代する運転士と車掌しかいない。
 北千住〜綾瀬間はJR常磐線と東京メトロ千代田線の二重戸籍区間となっているため、この区間に限っては東京メトロの運賃も安いほうのJRに合わせ130円となっている。 
   
   
   
 ■綾瀬のホタル・名勝円心橋(綾瀬3撰) 撤去
 3丁目9番、鳩公園北西辺。古隅田川や綾瀬川では鮒や鯉など川魚は多くいた。そういう田んぼが
まだ多く存在していた昭和30年代中頃までは、そこいら中にホタルがいた。特に沢山出没したので、綾瀬のホタルの名所として誰もが知っていたのが、古隅田川の北を東西に走る川(八ケ村落とし堀)に架かる石造太鼓橋の「円心橋」周辺だった。
地元では橋の名前の由来ともどもよく知られていたところで、必ずこの橋を通らないと他所へ行けない交通の要衝だったからだ。旧町村の古地図を見れば一目瞭然だ。
この地区は、元々「蛭沼耕地」と古称されていたところで低湿地の土地柄、ために夏の昼には蝉時雨の声を聞き、夜にはホタルの飛び交う、趣のある田園風景だった。
 養福寺の大楠、大室家の信長塀とともに「綾瀬3撰」に数えられた。また橋に使われていた石の一部が大室家の東南角の塀の基礎石として使われている。
   
 円心橋は江戸時代の1790年ごろまでは、木橋であったが、度々大水で橋が流されてしまうことがあり、東和の円性寺の僧円心が、近郷から来る檀家の葬送に支障が出るから、架け替える時には、石の橋で架け替えてほしいと関東郡代伊奈氏にお願いして出来たといういわれのある、総小松石製の石橋であった。時に、寛政4年10月。願主は熱心に嘆願した円心である。この石橋は、昭和35年から始まり10年の歳月をかけた綾瀬の区画整理で撤去され、川もなくなった。
  しかし、それまでは、綾瀬一番のホタル狩りの場所として近隣に知られていた名所であった。また、区画整理される時に、その架橋されていた円心橋の石は、何人もの綾瀬の先人たちが踏みしめ、汗して行き来した貴重なものだからと、綾瀬稲荷神社の大室総代長が、自宅の板塀の礎石として貰い受け、大室家東側の板塀の下側には、円心橋の由来となる、銘文が打刻されて残っている部分を今も見て取れる。綾瀬の昔話がそのまま生きているお宅である。(ちなみに大室家は綾瀬4丁目にあります。)
■綾瀬小学校 
 3丁目12番にある。昭和34年弘道小学校の分校として設置。同37年独立し「東京都足立区立綾瀬小学校」として開校。同43年体育館完成。同44年東加平小学校を分校。同51年東綾瀬小学校を分校。
   
   
■東京武道館・大武道場 
 3丁目20番にある都の武道場。日本武道館と間違える人が未だにいるそうだ。都の教育庁所管。
   
   
■東綾瀬中学校■ 
3丁目23番にある。昭和39年4月1日足立区立第十一中学校より独立。