伊興】(いこう)3丁目 
伊興村。明治22年「市制町村制」により南足立郡淵江村の大字となったものの、2年後に独立して南足立郡伊興村となり、昭和7年足立区が成立すると伊興町谷下・伊興町聖堂・伊興町五庵・伊興町狭間・伊興町白幡・伊興町前沼・伊興町見通・伊興町大境・伊興町諏訪木・伊興町五反田・伊興町本町・伊興町吉浜・伊興町一丁目・伊興町番田・伊興町京伝・伊興町槐戸の16町に分かれ戦後に至る。昭和62年伊興町本町・伊興町大境・伊興町見通・伊興町諏訪木と西伊興町の各一部をあわせた町域を現行の「伊興」とした。それにしても○○が丘、××台と見てくれのみを追って命名する軽薄短小の風潮の中で、伊興という古い地名を残した足立区は偉いと思う。
伊興の由来  
 
由来は判らない。北部には弥生時代から人が住み着いたようで遺跡が公園として保存されている。
古墳時代には大規模集落があったらしいが当時「いこう」と呼んでいたかどうかは判らない。
「やこう」なら荒地、湿地ということが考えられる。インドネシア語で解釈すると「イ・コウ」は「丘のそば」だそうだが、これは地形上理に適っている。伊興の北方は毛長川の大湿地帯で、字を「谷下」と書いて「やじった」と読む。僅かに『吾妻鏡』に地頭として伊古宇氏が見えるもののその伊古宇にしてからが『姓氏家系辞書』には記載がないが、竹の塚に谷古宇家がある。


伊興3丁目あちこち

まずは、このシリーズ定番の「伊興3丁目」の地名表示探しをしました。
   
   
   
   
   
   
以前青井3丁目で見つけトマソン物件かと騒がれたのと同じ形の防火水槽が 伊興3丁目アパート内でも発見!
   
写真左の信号機は正確に場所を表している。今までこんな時はどちらかの町の表示だったが・・・。 
   
尾竹橋通りに面した1番地。 
   
生産農地に農家もあちこちに点在している 
   
高校の同級生の家を発見。私がアマチュア無線を始めるきっかけとなった人物だが不在だった。 
   
   
   
   
農地のそばにはマンションが建ち貨車を倉庫にした鉄工所もあった。
   

伊興3丁目で見かけた教会。教会自体は3丁目町内にもこれまでしょっちゅう見かけてきたが、個人のお宅だったりマンションの1室だったりするものばかりだったのであえて取り上げなかったが、ここは立派な建物だったので取り上げた。(写真左)
伊興3丁目は新旧が入り交じった懐かしい感じのする町だが、この町も竹ノ塚駅が比較的近いのでいずれ開発の波にのまれてしまうことだろうと感じた。

伊興3丁目のランドマーク
■稲荷社
3丁目7番にある小祠 
   
   
寿福山長勝寺■ 
   
3丁目11番(旧伊興町大境1761番地)、横沼厨子にある日蓮宗の寺。万治二年(1659)の創建で、開山は智勝院日座上人、開基はこの地で代々名主を務めた旧家宮城清左衛門吉重だ。千葉次郎勝胤の自邸の一部を寄進して建てたと伝わってる。日座は谷在家本応寺第10代日福上人の法弟、清左衛門は武人で当地に住し、子孫は代々名主を務めた。本尊は日蓮上人奠定の大曼荼羅。本堂は瓦葺き総檜造り、境内は樹木が生い茂り、樹齢400年以上の巨松がある。綺麗なお寺だ。
   
■千葉次郎勝胤の墓<現在は長勝寺境内に移設>■ 
3丁目23番の藤波五家に囲まれた狭い路地の奥に寂しく1基の石碑が建っているが、これは墓ではなく家臣が建てた供養塔だそうだ。王子道に沿っているところを見ると、何かを誇示したかったものか? 中世から戦国時代にかけて南関東に勇名を馳せた千葉氏は、各地で栄えたが、江戸に太田道灌が伸してくると道灌に従い、その死後は小田原北条氏に従った。勝胤は文明三年(1471)に生まれ、天文二年(1533年)に63歳で歿しているが、記録がなくその生涯は不明なところが多い。
佐倉城を本拠としたはずの勝胤の墓がここにあるのは不思議な訳だ。永禄二年(1559)の「小田原衆所領役帳」に千葉氏の下足立における役高が出ていること、またこの石碑を建てた者が、宮城三右衛門・市原四郎兵衛・宮城忠左衛門・常田次郎右衛門とあり氏姓から足立在方の家臣団と思われることなどから、おそらくは主君の供養碑として建てられたものだろうと想像する訳だ。それにしても簡素な碑であること、ここが1つだけの離れ墓地であること、不思議は多い。 
   
   
苗間戸稲荷 
 3丁目23番、横沼ズシにある。終戦後ぐらいまで稲荷講があり、初午の日には講中の家に集まって酒を飲んだりしたが、経費が大変なので止めた。現在では町会の神社部が主体となって初午を行っている。
 
黒松
 高さ20mの松。足立区の保存樹。竹ノ塚駅からも見えた高さの大木で、伊興のランドマークだったが、近頃はマンションなど高層建築物が建ち、地元でもこの見事な黒松のことを忘れかけているだけでなく、枯れてしまい代替わりしていた。